garop-rabit 臨床心理士の日誌

臨床心理士という仕事をしています。仕事のことやキャリアのことを中心に書きたいと思っています

きょうもきょうとて・・・

なんとも久しぶりに日記を書くことになってしまいました(苦笑)

 

同業者の方々のブログなどを見ると、「やっぱり文章表現が上手だなあ。ふむふむ・・・・」とかなってしまって、中々自分で文章を記す事が出来ずに時間が経過してしまいました。

この前の日記も同じような事を書いてしまった気がしていて、何か月かに1回の生存確認の日記になってしまうのも何だか少し残念なので、何かを記して行きたいと思います。

 

【この半年くらいの間で感じていること】

この半年くらいの間を過ごしていて気になってきているのは、私と同じように「臨床心理士として生き残ること」を切実に考えている方が多くなってきているのだなあ。という空気を感じています。

 

というか、臨床を生業として生きていくことというのは多くの先人が取り組んでいたことなので何も真新しい事はありません。

ただ、臨床心理士という仕事は大学院を出ることや、卒後のトレーニングなど時間とお金がかかるのに、収入はごく僅かで公務員や常勤職に就かない限り、中々安定した生活を望むことが出来ないというのも事実で、そのことを「遣り甲斐」や「他者の役に立つ」という耳触りの良い言葉で否認することをせずに、どうやったら職業生活とプライベートを充実させて良い人生を過ごせるのかを考える人が増えてきているのだと思います。

 

心理臨床学会の自主シンポジウムなどでも、具体的な臨床ではなくて心理職としてのキャリアや日常生活とトレーニングの両立がテーマになった演題が出ていたり、SNSや個人のブログでも様々なディスカッションを目にする機会が多くなりました。

 

背景の事情としては、「公認心理師」という資格が出来たことや、その事で臨床心理士の市場が少なからず影響を受けているということもあるのかもしれません。

これまで「臨床心理士」として仕事をしてきた人以外にも、様々なバックグラウンドを持った人が「公認心理師」として心理支援の仕事に参入してきたことによって、様々な危機感を感じている臨床心理士がいるのも事実と思います。

 

世の中的にも「老後2000万じゃ足りない問題」などが出てきたりして、非常勤の掛け持ちが多く、年金も国民年金の人が多い心理士業界などはモロに影響を受けたりするので、そのことも関係しているかもしれません。

 

精神的なハンディキャップを背負いながら生きている人や、こころの悩みを抱える人を支える仕事をしている臨床心理士が、実はけっこう切実に日々の生活を成り立たせることに苦労を感じているとしたら・・・・

治療者-患者というモデルがちょっと変わってきて、困っている人ー困っている人みたいなそんな構造で日々の臨床に取り組むことになってしまうのかもしれません。

治療者とてただの人であるのだから悩みや葛藤を抱えていることは何らおかしなことではないのですが、心理士の貧困は間接的にはトレーニングの質に影響し、ひいては自身の臨床にも影響する事でしょう。

どのようにこの事に取り組んでいくか、それを考えながら生き続けて行く事が重要なのだと思います。

また、このテーマについて記事を綴っていきたいと思います。